【総合格闘技】PRIDEからRIZINまで、日本の総合格闘技の歴史

こんにちは!

現在、「RIZIN」で盛り上がっている日本の総合格闘技ですが、日本で行なわれている格闘技の興行では2007年まで行われていた「PRIDE」が一番盛り上がっていたと記憶しています。

「RIZIN」には、「PRIDE」で活躍した選手がレジェンドとして出場していたり、セコンドとしてサポート役をしていたりと、「PRIDE」を知ることでさらに「RIZIN」の魅力が増すものと思われます。

そこで、本記事では現在の「RIZIN」から日本の総合格闘技の歴史をさかのぼって解説していきたいと思います。

RIZINの旗揚げ(2015.12.29〜)

2015.12.29-31
RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS

29日の旗揚では、桜庭和志(lose) vs. 青木真也(win)をメインイベントに開催された。

他にも所英男(win)、高阪剛(win)、31日の大晦日には、ヒョードル(win)、アンディー・サワー(win)、ピーター・アーツ(lose)、ボブ・サップ(win)などの懐かしい面子が参戦している。

代表者が同じ榊原氏であることからもPRIDE色がかなり強い大会となっており、ミルコ・クロコップ、ヴァンダレイ・シウバなどの参戦も決定している。さらに、PRIDE時代にはなかった女子格闘技も取り入れ、ギャビ・ガルシアRENA村田夏南子といった新たなスター選手の創出に成功している。

記念すべき、第一回の100kg級トーナメントの優勝者は、キング・モー(米国)となった。

HERO’S+PRIDE = DREAM(2008~2012)

PRIDEのけじめ大会として開催された「やれんのか!大晦日!2007」イベントをきっかけに、K-1を運営するFEGが立ち上げた総合格闘技イベントHERO’SとPRIDEを運営してきた元スタッフが立ち上げた新たな格闘技イベント。

HERO’Sは、もともとPRIDEとは敵対するイベントで、桜庭和志がタイガーマスクを被りPRIDEからHERO’Sへ禁断の移籍を発表するなどの因縁があった。

DREAMは、大晦日イベントのDynamite!!とも連動しおこなわれている。

DREAM.1では、UFCを離脱したミルコ・クロコップが参戦した。また、DREAM.2以降は、イベント会社「リアルエンターテインメント」が設立され、笹原が社長に就任し、製作にあたった。DREAM.15からは、戦極を離れた吉田道場勢が参戦している。

しかし、FEGの財政難によりファイトマネーの未払い問題などを経て2012.12.31のDREAM.18&GLORY 4を最後に活動を停止した。

体重別に細かく階級が定められており、全部で7階級の王座が存在する。最終王者は以下の通り。

ヘビー級(93.1kg-) アリスター・オーフレイム

ライトヘビー級(-93kg) ケガール・ムサシ

ミドル級(-83.9kg) ケガール・ムサシ

ウェルター級(-76.0kg)マウリス・ザロムスキー

ライト級(-70.3kg) 青木真也

フェザー級(-65.8kg) 高谷裕之

バンタム級(-61.0kg) ビビアーノ・フェルナンデス

戦極〜SRC(2008〜2011)

ワールドビクトリーロード(ドンキホーテの子会社)が主催する総合格闘技団体。

PRIDE消滅後の選手の受け皿として発足。

吉田秀彦、瀧本誠、五味隆典、ジョシュ・バーネット、藤田和之、ホジェリオ・ノゲイラ、ケビン・ランデルマン、近藤有己、中村和裕、三崎和雄といったPRIDE時代の面々が出場している。

約3年間の間に、18大会おこなわれており体重別に3つの階級の王座が設定されたいた。

ミドル級(-83.9kg) ジョルジ・サンチアゴ

ウェルター級(-76.0kg) 中村K太郎

ライト級(-70.3kg) 廣田瑞人

フェザー級(-65.8kg) 日沖発

バンタム級(-61.0kg) 小森亮介

PRIDE後期(2003〜2007) PRIDE武士道

PRIDEが絶頂期を迎え、一気に終焉していく時期である。

重量級では日本人選手が勝てなくなり、軽量級に活路を見出して発足したPRIDE武士道。

ここで一気にスターダムに上り詰めたのが、五味隆典、三崎和雄である。

五味隆典は、PRIDE 男祭り2005(2005.12.31)でライト級トーナメント優勝し、ライト級王座を獲得し、PRIDE武士道-其の十三(2006.11.5)では、王座防衛に成功している。PRIDEでは、PRIDE武士道-其の拾(2006.4.2)のマーカス・アウレリオ戦以外は全て勝利しており、14戦13勝(うち1本勝ち11)とまさに新たなPRIDEのヒーローとして活躍した。

三崎和雄は、もともとパンクラスを主戦場としている選手であったが、PRIDE武士道-其の参(2004.5.23)より、参戦するようになり、PRIDE武士道-其の十三のウェルター級トーナメントで優勝し、王座を獲得した。

その後、ウェルター級、ライト級についてはPRIDEの本流に統合され、PRIDE武士道は終了した。

本流のPRIDEの方は、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦(2006.09.10)では、ミルコ・クロコップが悲願の優勝を果たす。ただ、無敗を誇り、当時最強と言われていたヒョードルが負傷欠場している大会であったため、消化不良な内容であった。

また絶対王者を誇ったPRIDEの顔とも言えるヴァンダレイ・シウバに敗北が目立つようになり、PRIDE.33(2007.02.24)では、ついにダン・ヘンダーソンにミドル級王座を奪われる。

ヴァンダレイフリークのひできちにとっては、これがPRIDEの終焉を予感させる出来事であったように覚えている。

その後、PRIDEを主催するDSEは、UFCを主催するオーナーに興行権を譲渡するも新体制での開催がうまくいかず選手が他団体に流出し、終焉を迎える。

なぜ DSEがPRIDEの興行権を譲渡したのかと言う点については、謎が多いのですが、どうやら2003年に当時PRIDEの代表を務めていた森下氏が自殺したことが影響しているようです。自殺の真相はわかっていませんが、暴力団がらみの噂が囁かれています。また、同時期にイノキボンバイエ2003にて、PRIDEの選手が横取りされたことに対して、DSE代表の榊原氏が暴力団を利用して脅しをかけたということがあったようです。その事柄をのちに週刊誌で指摘されたことに端を発して、フジテレビがテレビ中継から撤退→資金繰りが悪化→興行権の譲渡ということのようです。

あれだけの全盛を誇ったPRIDEが一瞬にして立ち消えてしまうという誰も予想しなかった事態になってしまいました。

ただ、当時のPRIDEの選手が世界最強選手を集めていたということを象徴する出来事として、UFCに移籍した元PRIDE選手がヘビー級からミドル級までの3階級を全て制覇しUFC王者の過半数を占めるという事態が起こっています。

PRIDE中期(2000〜2002)グレイシーハンター桜庭和志

この時期がPRIDE全盛期であったという人もいるかもしれません。桜庭和志が「グレイシーハンター」の異名をとるようになり、スターダムに一気に駆け上がっていった時期でもあります。

ホイラー・グレイシーに始まり、ホイス・グレイシー、ヘンゾ・グレイシー、ハイアン・グレイシーと次々と倒していく姿を見て日本人のヒーロー誕生に沸いた時代でもありました。

ひできちもこの事実を雑誌で知り、PRIDEを見るきっかけとなったことを覚えています。

ホドリゴ・ノゲイラヴァンダレイ・シウバといったPRIDEを象徴する面々も連戦連勝で最強の地位を気づいていく。

連戦連勝だった桜庭は、ヴァンダレイとの試合を回避しているかのようにマッチメイクされることがなかった。しかし、PRIDE.13(2001.3.25)に初めてその対戦が実現し、1R TKOで敗北している。その後、桜庭は徐々に負けることが多くなっていく。ヴァンダレイとは、PRIDEにて全部で3回対戦することになるがすべて1R KO負けとなっている。

当時絶頂の人気を誇っていた桜庭は、ヴァンダレイにはおそらく勝てないだろう、というで大会主催側が意図的にマッチメイクしなかったようにも思われる。

PRIDEの誕生 1997.10.11

PRIDEは、もともと高田延彦ヒクソン・グレイシーを対戦させるために立ち上げられたイベントである。

1993年に発足されたUFCの大会で、大きな選手がいる中で小柄なイス・グレイシーが2度も優勝するという出来事に観客は驚かされる。そればかりか、ホイス・グレイシーが放った「兄のヒクソンは自分の10倍強い」の一言から、ヒクソン・グレイシーが一気に有名になった。400戦無敗とも言われているが、公式の試合は11戦しか行っておらずその大半が日本人選手であった。ただ、それらの試合は全て1R KO勝ちしている。

そういった中、ヒクソンと高田の試合を実現したのがPRIDEであった。

試合は、高田があっさりと腕ひしぎを極められて敗北するという結果であった。

当時のPRIDEは、創世記ということもあり、マッチメイクによって実力差がありすぎたのか、壮絶な1本勝ちというのが多かったように思います。また、あまり外国人選手を知らなかったひできちは、日本人選手 vs 外国人選手という構図でしか見ることができず、日本人がなかなか勝てないという印象で見ていた記憶があります。

ここから試行錯誤しながら、PRIDEが徐々に大きくなっていくことになります。

最後までお付合いいただき、ありがとうございました。

ひできち

 

 

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